「ブエノスアイレスの夜」を何度も鑑賞してしまう訳

ようやくネットが正常開通したようだ。気が付けば7月も9日・・更新が遅れまして失礼しました!

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その間、私は「ブエノスアイレスの夜」を3度も鑑賞。1度はガエル凝視で&ガエルと号泣で字幕どころでなく(今回は英語字幕付)、2度目は字幕重視ながらも1番印象はガエルのハミング(酔)、そして昨夜は徹底的に「グスタヴォの気持ち」に集中して鑑賞してみた。グスタヴォ(敢えてヴォ)のようないわゆる「運命の孤児」というのは混乱の時代が続いたアルゼンチン国だけでなく世界各国に存在する。「運命の孤児達」の人生が何も不備なく不足なく幸福であるという確立はすごく低いんではないか?もしもそんな統計があったら見てみたい。いや、本当は孤児と非孤児(?)のそれに差はないのかもしれない・・。そんな余計な深読みをウツラウツラさせられたのは後半20分のガエル演技の素晴らしさ!苦しくて立っている事もできなくて情けなくて自分が何者なのかわからなくて哀しくてどうしようもなくてその気持ちを誰にぶつけたらよいのか泣くことしかできないのかどこへ歩いて行けばよいのか、という戸惑いのグスタヴォが私の「深読み心」をグラグラと揺さぶったのだろう。

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22歳のグスタヴォは「グスタヴォ・ベルトリーニ」から「グスタヴォ・ガーナ」(そうMMマリリンモンローのように、ってのは色っぽくてイイ感じ)という芸名を与えられ今これから人生を切り開くという時だった。が、人生とは何がどうひっくり返って、そこに喜びがあったり悲しみがあったりするのか、ほんとわからんもんだ。普通に育った普通の22歳だったら、この謎の女カルメンに興味を持つことはなかっただろうに。運命の孤児はそこで運命の出会いをする。カルメンの「毅然とした寂しさ」とは異なる、感傷的な寂寥感?を持ったグスタヴォの声に涙した。人を愛するという事は相手の何を知り得るということか?(ってパトリス・シェローか)共有できない過去を持つカルメンが話につまってヤケドを負い、「ヤケドしちゃったわ」と笑ってしまう場面が悲しかった。カルメン妹の執拗な好奇心が悲しかった。カルメン母の物憂げな視線が悲しかった。人生は悲しいことの方が多いのかなぁ~いやそうじゃないよなぁ~もぅ1度見て確認してみるか~と思っているところにヒョッコリカワエエガエルに会えてしまう作品だから、だから何度も見てしまうのだろうな!
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by gaekogarcia | 2005-07-10 04:41 | ガエル映画鑑賞
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